大阪ガス復旧に10日程度@阪神大震災を思い出す

まずは犠牲になられた方々に哀悼の意とご冥福をお祈り申し上げます。

 

まだ余震が起こる可能性がありますので、

落ち着いて身の安全を確保してください。

 

帰宅途中の方、水分補給をしながら

あせらずゆっくり様子を見ながら帰宅してください。

途中でバスに乗れるかもしれませんし、

タクシーをつかまえることができるかもしれません。

 

ご家族の無事が確認できているのなら、

一安心ですから。

 

もし連絡が取れていなくても

落ち着いてしばらく時間がたてば

固定電話もつながるでしょう。

直後はホントにつながりません。

 

管理人は阪神大震災と東日本大震災を経験したので

少しでもお役に立てることがあればとおもい

つづっています。

 

大阪で地震史上初の震度6弱-阪神大震災を思い出す

 

阪神大震災の衝撃

 

1995年1月17日午前5時47分、もうそろそろ起きる時間でした。

いきなりです。

突き上げるようなドンッという音とともに

恐ろしい横揺れがきました。

 

照明が落ちて粉々に割れました。

時計は吹っ飛んで動かなくなりました。

当時、ブラウン管の大きなテレビが台から落ちかけていました。

トイレタンクにヒビが入りました。

フローリングがたわんで、波のようになっていました。

廊下を洗剤やらワックス、歯磨き粉に至るまで

放り出されて滑ってました。

 

戦争?もしくはキングコングが襲ってきたのか

なって思うくらい、電線から火花が散ってました。

 

兵庫県明石市に住んでいたときです。

目の前が震源地なんて…震度6強。神戸のほうは震度7。

あとで知って絶句しました。

断層がこちら側に伸びていたら

もっとすごい被害だったでしょう。

 

揺れが収まった後、無音でした。

世の中が終わったようでした。

 

すぐに実家から電話があり父と3分くらいしゃべりましたが、

そのあとつながらなくなりました。

 

まだ携帯が普及する前の話です。

SNSもありませんでした。

24年近く前は情報を得る手段がテレビとラジオでした。

 

ただ引越しの前で、なぜか食器から荷造りしていて

グラスもお皿も無事でした。

不幸中の幸いだと感謝しました。

 

気を付けないといけないのは

余震でした。

震度4クラスが頻繁に起こり、ずっとガタガタと

窓ガラスがきしみました。

 

ライフライン

電気 3日後には復旧していました。

ガス プロパンガスだったので、業者の方に見に来てもらえて5日後に復旧。

水道 水道管の破裂でしばらく出ませんでした。市から給水車がきていました。

電話 つながりにくい状態がずっと続きました。

 

神戸方面に車で行くのは、緊急車両優先だったので

相当混んでいました。

道も被害がありましたし。

 

すぐにスーパーに行きましたが

棚には何もありませんでした。

買占められて…

 

この経験がのちに生きるのですが、

そんな役立つ場面は欲しくなかったです。

 

震災後揃えた防災グッズ

 

  • 懐中電灯 今ならLEDの小さくて持ちやすいものがあります。
  • ポリタンク 給水車からもらうときに持ちやすいです。
  • 簡易トイレ 水が流せないとき、水を節約したいとき便利です。
  • 折りたたみバケツ お風呂などに水をためるのですが、他への持ち運びに便利です。
  • 消毒ウェットティッシュ 手が洗えないとき、きれいにできて安心です。
  • ラップ、紙皿、割り箸 洗い物ができないのでラップを敷いて使いました。
  • ろうそく アロマキャンドルで代用してもいいです。
  • 卓上コンロとガスボンベ 温かいものは必要です。給水でもらったお水は一度沸かしてから使うほうが安心です。
  • 食料 カップ麺や餅、ご飯、お湯を注ぐだけのお味噌汁、スープなど
  • 小銭を含む現金 ATMが動かないときも耐えられるくらい。

まだまだあるとおもいますが、管理人自身が

揃えたものです。

備蓄の水は、もうさすがに皆さんあるものとして

入れていません。

 

忘れかけたころに来た東日本大震災

 

それから16年後、2011年3月11日14時46分。

管理人は東京にいました。

遠くからの地鳴り。

忘れかけていた揺れがきました。

 

でも、東京だったので震度5ほどに感じました。

これなら死なないなと直感して。

 

16時以降オフィスから帰宅しようとたくさんの人が

徒歩でターミナル駅を目指して向かわれていました。

ひとりの方は、「埼玉まで帰れるかな?どのぐらいかかるんだろ?」

そうもう一人の人に話していました。

ヒールでは無理そうでした。

 

そのあとからオフィスにスニーカー

ロッカーに置いている人が増えました。

 

帰宅困難者が出て、駅やオフィスに寝泊まりした方も

多かったのが、都会の盲点を直撃された思いでした。

 

そのあと何日もスーパーから生鮮品が消えました。

棚には缶詰すらなかった記憶があります。

お友達はトイレットペーパーの買い置きが切れていて

困ったと言っていました。

 

紙製品は地震になると追加で入荷しづらいものです。

トイレットペーパー

ティッシュ

ウェットティッシュなど

なくては困るものは予備を備蓄しておきたいものです。

 

大阪北部地震 ライフライン状況

 

Twitterで見つけたので

こちらでもシェアします。

まず、ガスの復旧について


関西電力管内、停電が発生していましたが17万戸から

16時45分現在70戸にまで回復中。

 

水道は

まず大阪市


これ、ほんとにそうです。

役に立ちます。覚えておいて損はないです。

 

次に高槻市です。

 

 

茨木市の水道は、濁り水に近いようですが

まだ使えていそうです。

今後断水するかもしれませんので気を付けてください。


高槻、茨木が被害が大きいようです。

ガスの使用はくれぐれもお気を付けください。

断水の可能性もあります。

市からの給水アナウンスもあるとおもいます。

 

これから私たちにできること

 

情報が錯綜するとおもいます。

デマや誇張がなされた情報がまじることがあるので

十分信頼できる筋の情報かどうか精査してください。

 

熊本地震の時のように

デマが広がって恐怖心を煽る人も出てきます。

(このときはライオンが逃げ出したというものでした)

 

 

被災した方に何ができるか、どうしたら笑顔が戻るのか

考えて行動したいとおもいます。

どうか普段の暮らしが早く取り戻せますように。

 

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